“石川遼”この名前は誰でも聞いたことのある名前ではないでしょうか。一頃はゴルフツアーでのプレーをしている姿はもちろん、多いときには十数本のテレビコマーシャルへ出演し、彼の姿を見ない日はないくらいでした。彼がアマチュア時代に史上最年少の16歳で日本のプロゴルフツアーで初勝利を飾ったときは、日本中が大騒ぎになったものです。
そして16歳でプロに転向、ゴルフ界に久々のスターが誕生、背が高くマスクも良し、しかも本業のゴルフでも大活躍の予感と日本中のゴルフファンは大いに期待しました。
史上最年少で年間の獲得賞金額1億円突破、史上最年少で賞金王になり、全英・全米オープン出場と順調な歩みを続け、2011年の東日本大震災の年には、国内ツアーとメジャー大会の獲得賞金をすべて寄付、さらに大会でのバーディー1個に対し10万円も合わせて寄付することを内外に宣言し実行するなど大いに話題を提供しました。
そして今頃はあのジャンボ尾崎に匹敵するような大活躍で、日本中を沸かせている筈だったのに。ところがそんな気配はつゆほどもなく、最近石川遼の名前を聞く機会がめっきり減ってしまいました。一体どうしてしまったのでしょうか。それは彼が日本国内にとどまることなく、もっと高みのゴルフを目指してアメリカのツアーに参戦したことが原因と考えられます。彼の志そのものに言うべきことはなく、もろ手を挙げて賛成したいところです。
ところが如何せんツアーへの参戦が少し早すぎたような気がします。最初の内は彼が思うような成績を上げられなくとも、日本のマスコミは彼を取り上げ、大いに報道しました。
ところが彼のアメリカツアーでの成績が思うように上がらず、時には予選落ちしてしまうような事態もありました。あの石川遼が予選落ち、最初はニュースになってもそれが何度か続けばもう報道しなくなります。そして彼のアメリカツアーでの報道の回数は、彼の成績に比例してどんどん減っていってしまいました。
彼が活躍している内はゴルフファンも注目しますが、報道回数が減るとファンの目は完全に彼から離れ、別の方に向ってしまいました。「もう少し実力を蓄えてからアメリカツアーに参戦した方が良かったのではないか」や「日本ツアーに戻ってきたほうが良いのではないか」などの意見もあります。
若年から日本国内で好成績を挙げ、順調に階段を登って行ったのでアメリカツアーもその延長で行けると、本人も周囲の関係者もそう判断したのでしょうか。あのジャンボ尾崎でさえアメリカで行われたトーナメントでの成績は振るわず、ツアー参戦はしなかったのに。
筆者も、石川遼はゴルフの素質は申し分のないものをもっており、国内で十分自分の型を身に付け、どんなトラブルにも対応出来るような実力を身に付けてから参戦していたら、もうちょっと違った結果になっていたのではないかという気がします。幸い昨年、アメリカツアーのトーナメントで好成績を収めたり、日本国内のツアーで2勝をするなど復活の兆しが見えつつあります。年齢も今年で25歳になり、かつて十代で大フィーバーした時とはゴルフファンの見る目は違ってきています。
アメリカツアーで彼は相当苦労し、血のにじむような努力をしたのでしょう。今度は石川遼が苦労して身に付けた本物の実力を見せ付けて、大活躍する姿を期待するのは私だけでしょうか。