日本のゴルフ場設計の第一人者といえば、井上誠一氏の名前を挙げる方が多いでしょう。私は実はその名前は聞いたことがあったのですが、今まであまり興味がありませんでした。しかし、色々なゴルフ場でプレーするようになり、また、たくさんのコースを調べる機会を得るようになると、何度も出てくる名前に次第に興味が湧くようになりました。
今回は名匠と呼ばれた井上誠一氏と、そのコースについて調べてみたいと思います。
井上誠一氏のプロフィール
1908(明治41)年東京で生まれる。22歳の頃、静養のために訪れていた静岡県で、当時来日していたイギリス人コース設計士、チャールズ・ヒュー・アリソン氏が設計する「川奈ホテルゴルフコース富士コース」を見て、大いに刺激を受け、設計士を志したと言われている。
自身が初めてコース設計に携わったのは、「霞が関カンツリー倶楽部西コース」で、その後40あまりのコースを設計(現存しないコースも含む)。アリソン氏の影響も受けながら、日本の風土に合った独自のコースを設計する。1981(昭和51)年に亡くなる。享年73歳。
井上氏の設計は、自然との調和をめざしながらも、すべてのゴルファーの力量に沿った戦略的な設計が特徴です。また、井上氏の作品に駄作は無いと言われているように、どのコースも魅力的です。今回はその中のほんの一部ですがご紹介したいと思います。
大洗ゴルフ倶楽部
1953年の開場。「日本オープンゴルフ選手権」「ダイヤモンドカップ」「三菱ギャラントーナメント」など、数々の大会を開催してきた。黒松が美しいシーサイドコース。コースの特徴としては、フラットでストレート。12番や15番ホールに代表されるように、自然の松林を最大のハザードとし、自然を活かしながら、随所に井上氏の戦略が詰まったコースです。
また、アリソン氏のエッセンスを受け継いだ深い顎のあるバンカーが、グリーンの周りをかため、さらにシーサイド特有の風が、プレーヤーを悩ませます。
札幌ゴルフ倶楽部 輪厚コース
1958年の開場。「ANAオープンゴルフトーナメント」を開催し、井上氏が初めて北海道で手掛けたコース。北海道を代表する屈指の人気コースとして知られ、名物は17番ロングホール。左の林越えで2オンも可能なホールで、プレーヤーの挑戦欲を掻き立てる。
コースは高低差の少ない林間コースですが、ドッグレッグのホールが多く、飛距離によって戦略ルートが大きく異なります。また美しい白樺が立ちはだかる11番ショートホール、微妙なアンジュレーションのグリーンなど、しびれる要素がふんだんに盛り込まれています。
大原・御宿ゴルフコース
1982年の開場。千葉県にあり、ヤシ系の植物がコースを彩る、リゾート感たっぷりのコース。井上氏の最晩年の作品で、隅々にまで、井上氏のコースに対する思いと、遊び心に溢れています。
110個ものバンカーがコースに点在し、特に17番ミドルホールはセカンド地点を中心に全部で14個のバンカーが、花びらか雲のように散らばっています。また、11番ミドルホールの左右2つのグリーンは、まるで円形古墳のような砲台型で、非常に特徴的です。ここでしか味わえないものがたくさんあるコースです。
まとめ
ひとつひとつのコースが、独創性に溢れた美しいコースです。井上誠一氏設計のコースを巡るゴルファーがいらっしゃるのも頷けます。アリソン氏から通じる伝統的なブルティッシュスタイルを受け入れながらも、日本の風土や、地形、さらに日本人のゴルフスタイルに非常にマッチしたコース設計で、そのデザインに古さを感じません。
世界に通じるコースコンセプトが、井上氏が名匠といわれる所以でしょう。しかし、コースを見て思うのは、その井上氏の遺志を引き継いで、維持するコース管理の方々の存在が大きいという事です。やはり、素材が良くてもそのままでは、コースは育ちません。年月がたち、木々が生い茂り、芝に風格が増すからこそ、そのコースが「名門」になるのだと思います。
井上氏が思い描いて、生み出したコースたちは、どのコースもすくすくと成長し、今でも、ゴルファーの憧れのコースになっているのですね。